アレクサンダーテクニーク / Alexander Technique - 海津賢 (かいづけん / Ken kaizu)

アレクサンダーテクニークや音楽や、いろいろなことを書いていきます。

ある生徒さんのアレクサンダーテクニークのレッスン手記

この手記はある生徒さんが、アレクサンダーテクニークのレッスンを初めて受けてから10回目までを記録したものだ。生徒さんへのレッスンはチェアワークとライダウンを中心に行った。生徒さんは手記を公開する前提で書いていたとのこと。今回ご好意によりシェアさせていただくことになった。

アレクサンダーテクニークは体験を通じて学んでいく。レッスンで感じることや学ぶことは、ひとそれぞれ千差万別だ。椅子から立ったり座ったりするだけと誤解されることのあるチェアワークなどのレッスンで、どういう個人的な体験をしていったかを知る、貴重な手記だと思う。よろしかったらご覧ください。

 

ある生徒さんのアレクサンダーテクニークのレッスン手記

<レッスン1〜9回目>

私は、これまで、チェアワーク、ライダウンワークを学んだことがなく、最初は治療のようなもの(先生がやってくれているもの)だと思っていました。

ただ、ただ、私は、私の体と向き合ってもらっている、というのがとてもよくわかり、私自身の体調がひどく悪いところを助けてもらっている、という感覚も多くありました。
しかし、私の体は反発が強く、けんさんが触れると、なぜか、それを受け止めるや否や動きたいように(緊張したいように)動くのがわかりました。
それをやめようと言われても、その我慢(やめること)は難しく、抵抗が大きくあることがわかりました。
 非常に勝手わがままな動きではありますが、その一つ一つに向き合ってもらえていたのがよくわかりました。

けんさんの話は半分も入っていませんでした。
私はとても気が散漫していて、違うことを次から次へと考えてしまう部分があり、その中でけんさんの話を聞くことになり、背中が広く、とか長くとか、うまく頭に入ってこないのです。
 でもそれでいいと言われたので、そうなのかしら?と半信半疑でいました。

それが4回目くらいまでです。

そして、5回目。
足をひっこめたり、出したりしてもらっている時に、そのやり方を教えてもらうと、ああ、そうだ、これは学びだったのだ!と思い出しました。うまくいかないけれど、自分で意識的にやってみよう!と思いました。ライダウンで、教師が触れていると、何かやってもらっている錯覚になるのだけれど、これは自分でやるんだったと思いだしたのです。
 それまでは、けんさんのいうことがわからない、うまく形にあらわせない、いつもの習慣が出て、出すぎて、そこからけんさんの指示にあわせる、というのが難しく、反発しつつ、受け入れる、というような状況でした。それが、きゅうに変わって、教師の言葉を受け入れ、自分で実行しよう、そういう気もちがわいてきたのです。

 長く、広くだとかなんだとかいろいろ言われるけれど、そんなのわからない、、、、いったいどうやるんだ??「先生だけが一生懸命で、私はちっとも動かず反発する」・・という段階から、「受けたメッセージを体に落とし込む」というのが、初めてどういうことが分かった瞬間でした。

そのころ、チェアワークをやっていて、体を倒そうとする癖が大きく出たところがあり、「疲れる姿勢をとるから、横になりたい。」という循環だということを教えてもらって、「なんでいつも横になりたがるのかしら、私の体?」と長年思っていたけれど、すっかり腑に落ちました。

次の時はとても体調が悪く、おなかもひどくいたかったけれど、すなおに先生のストップが聞き入れられ、強い反発がなくなって、気づいてやめる、というのが徐々にできるようになってきたことを感じました。ただ、5回目の時にやったような意識的にやめる、というアクティブな活動には至りませんでした。

その次の回はひどく興奮気味で、先生のいうことはちっとも入ってきません。酔っぱらいのようであり、おふざけモードがやってきました。自分のやっている緊張をやめることは、意識が興奮状態でなかなか困難な状態でした。
 でも、
これをやめるんだよ!とか、
これは私が普段やっていることなの?
といった、やりとりが印象的だったのか、
 自分が緊張している時がどんな時なのか、それはよくよく体で覚えました。

その後、歩いたりする中で、緊張しているんだ、ということがわかりました。

これまで学んできた教室では、緊張をしていることについて「わかる、これだよ」と示唆されるのが、数分であり、あたかも緊張してなかったかのように思いたくなっていましたが、
ここでは、そのちょっとした、わずかな緊張の在り方すべてを露呈され、拡大鏡で見て、これこそ緊張なんだよと見せてもらっている感じがしました。
緊張ということが何なのか、体のどんな状態なのかを深く教えてもらっているように思えました。

一つ一つのことがさくさく頭に入ってこないで、全部ちくいち、聞かないと何がおこっているかわからず、納得できず、先生のスピードについていけない、ということがわかってきました。

一つの動作を、ゆっくりていねいにやろうと思いました。ボールを投げようとすると、下向きの力がやってくるのがよくわかりました。
木が植わっていることを思い出して、と言われて、ああ、姿勢をぴんと正すんじゃなくって、このことね、木を思い浮かべればいいのね、と思い、普段でも思い出すたび、木を想像するようになりました。「猫背をしていると気づくと、アレクサンダーやらなきゃ、と思いすぐ姿勢を正したくなる、そして嫌になる」普段やっているのが、この循環だと、思い出し、またこの循環にもストップをかけ、木を思い浮かべてみようと思いました。

 

<レッスン10回目>

今日のレッスンでは、最初、自分の声を出すと疲れる、というところの注文からスタートしました。

私は、お話していると、人が話を聞いてくれない、という前提でお話をしています。そうとう気合を入れないと聞いてもらえないんだと思って話してます。
いつも疲れます。病気かしら、というくらい疲れます。仕事をしていてもすごく疲れるんです。

今日は、話ってこれだけなのかあ、というのを実感できました。
また、レッスン中、座骨で座ってないというところで、ともかく、踏ん張って座ってないと、だめ!と思っていることがわかりました。背中(体)を信頼していい、というけれど、いつも不安で、この子だめだから、どうにか安定させなきゃ、助けなきゃと思って、体の土台をしっかり作ろうとしていたように思いました。
 でも体は自立できるんだ、というのがわかったのが奇跡のように思え、同時に今、その力を信頼する、不安さ、怖さもあることがわかりました。

 立ったり、座ったりする過程で、目をふせ、何も見ないようにする癖があることも鏡で、しっかりと確認できました。
その時、意識をあえて、考えずに、でもわざと遠のかせている自分にも気づきました。それが拡大してみえたところで、レッスンは終わりましたが、よくよく今日は自分の癖を観察できました。やはり、この癖はなぜやってるのかしら、という興味がいつもあります。