アレクサンダーテクニーク / 海津賢 (かいづけん / Ken Kaizu)

アレクサンダーテクニークや音楽や、いろいろなことを書いていきます。

ある演奏会で顔を叩いた話を聞いて思ったこと

ビンタを教育的という事もできます。ビンタは暴力だ、戦争と置き換えてみようという事もできます。誰が悪いとかも。それはいったん脇において書いてみます。

音楽という刺激はすさまじいです。音の刺激のまっただ中にいながら、自分でい続けることはとても難しいです。中学生だとか70代だとか年齢かかわらず。そこで自制しようとして起こりやすいのが、満員電車で周りを無視するかのように、感じることのシャッターを無意識に降ろすことです。刺激のただ中にいるとき、すぐに反応しないで、かつシャッターを下ろさずに今この瞬間にいながら、意識的に選択できるって、どういうことでしょうか?刺激のただ中にいる時、首は筋緊張を引き起こしていないでしょうか?首は自由であるでしょうか?からだは縮こまってないでしょうか?からだが緊張して縮こまっている時はどんな選択になるか、ならないか。たぶんこれは日本人にはなじみのある「心身一体」のお話です。もちろん、選択に正解なんてないけれど、ひょっとしたら選択肢がある事で、違う世界が見える可能性が増すかもしれません。

話はそれるけれど、「〜しない」という言い方は否定形だからちょっと、と言われることがあります。けれど、「〜しない」ができるのは人間が獲得した、意思を使う素晴らしい能力の一つかもしれません。