アレクサンダーテクニーク / Alexander Technique - 海津賢 (かいづけん / Ken kaizu)

アレクサンダーテクニークや音楽や、いろいろなことを書いていきます。

「待つこと」について

何かしたくなった時に、ただ待ってみることはなかなか難しい。その事について、アレクサンダーテクニークの教師になる勉強をしているとき、卒業エッセイを書いた。レッスン中にこのエッセイを読んだ生徒さんたちから、公開するように何度か提案していただいたので、(だいぶ恥ずかしいけれど)投稿してみます。もしよかったらご覧ください。(ちなみに、待つことは私にとって未だにむずかしいことです!)

「わたしが学校で学んだこと」

Alexander Techinique Studio Tokyo
教師養成コース 海津賢


わたしは3年間を通してアレクサンダーテクニークを学校で学んだ。その中で印象に残ったことは、「待つこと」だった。

私は日常で、自分の思うことをのべつくまなく話していた。たとえば学校が始まってすぐ、とくに本を読む時間に議論がはじまって、自分の考えと違う話になると、とにかく話し続けていた。そのように話すことへ、特別の疑問も感じていなかった。

あるとき校長先生から、話したくなったら、そこで待って話さない選択をしてみたらどうかと提案された。実際に取り組んでみると、話したくなったとき自分に「待て」を言うと、気持ちがモヤモヤしてとても落ち着かなくなった。

しばらく取り組み続けると、自分が話したくなった時に、選択的に「話す」を選ばないで、話したい衝動(刺激)に対して自動的に反応して、話しはじめていることに気づいた。場合によっては、モヤモヤした気持ちを無意識に回避するために、話そうとしていることにも気づいた。

自分の習慣的な反応パターンに気づいたからといって、違う反応を選択できるようになるのは、とても難しかった。刺激に対して自動的な反応をせず、待って、違う選択をするという知的な理解は、「待つ」ことにまるで役に立たなかった。そもそも刺激に反応する決定的瞬間に、気付けなかった。その決定的瞬間は、話すことだけでなく、ワークをすることのみならず、楽器を演奏する、食べるなどのあらゆる日常行為で起きていて、すべからず「待つ」ことなく自動的に反応していた。

しばらく取り組んでいると、何か出来事が起きてしばらくしてから、自分が自動的に反応したな、と気づく事が増えてきた。気づくために必要な時間はだんだんと短くなっていき、ときどき#クリティカルモーメントに気づく事ができはじめた。

#決定的瞬間のこと

先生方は十分に「待つ」ために時間を使おうとおっしゃった。それじゃあと、やりたい衝動にかられたら、十分な時間を使って、衝動がおさまるまで待った。その取り組みを続ければ続けるほど、わたしはみんなに修行僧のようだと言われるようになった。実際そのように取り組む事は、自分を苦しめていった。待てども待てども、衝動はおさまらず、そのような自分はなんて自己中心的なんだろうと自分を責めた。あるとき先生は「やりたい気持ちは持ってもいいんだ。それを抑えたら抑圧になっちゃう。それは抑制とは違う」「待つとは動きの中で待つこと。静止することじゃない」とおっしゃった。わたしは(えっ!)と思った。私がしようとしていたことは抑圧と静止だった。先生は今まで同じような事を何遍もおっしゃっていたが、自分の耳には入ってこなかった。いわゆる「言葉は受け取れる段階にならないと聞こえてこない」ことが起こっていた。私は抑圧をやめ、静止をやめてみようとした。

それでも「待つ」ことは私にとってはとても苦手な事であるには変わりなかった。「待てない」ことのほうが圧倒的に多かった。それでも時々「待つ」ことが選択できると、静けさや、今までと違う生き生きとしたものを感じた。物事が体験したことのない状況へ変化すことも起き始めた。

わたしは盛大な失敗を繰り返しては落ち込んでいった。完璧にやりたいという思いが、目的に向かう#エンドゲイニングな取り組みへと向かわせ、どのように取り組むか、が全く抜け落ちて、願っている結果と違う事が起こる体験に、わたしは心底疲れ果てていった。

#目的を達成しようと結果だけを求めること

今までのやり方ではどうにもならないと、白旗をあげはじめると、失敗から何を学んで、次からどうしていけばいいかを考えて取り組むことが建設的だと、少しずつ分かってきた。待てないことで何か問題が起こると自分自身がダメなんだと責め立てていたが、問題は自分ではなく、待てないことであって、自分=問題と結びつけて、自分をダメだと思う事は、あまりにも悲劇的だと気づいた。「やりたい」と思うことは人間が生きていることの証で、待つことは誰に取っても結構難しい取り組みなんだと分かってきた。

いまだもって私は「待つ」ことがとても苦手で、あーあとがっかりする事もあるけれど、昔ほど極端に落ち込まなくなった。時には失敗を笑顔で受け入れることもできるようになってきた。3年間で「待つ」ことへ取り組むための下地を学んだ。「待つ」ことは#ダイレクションを送るためにも、選択を自由にするためにもとても有効だ。自分の望む人生、自由に選択できる機会と、人と一緒に生きていく時間、それらが増す可能性があると思うかぎり、「待つ」ことに選択的に取り込んでいきたい。

#自分への指示出し