アレクサンダーテクニーク / 海津賢 (かいづけん / Ken Kaizu)

アレクサンダーテクニークや音楽や、いろいろなことを書いていきます。

動きのシステム。感じること@ 一部加筆

さいきん考えたことをつらつらと書きます。
よく考えると、自分のプライマリーコントロール(人間にそなわっている、頭と首と背中の自然な動き)にまかせることと、自分の感じるままにまかせることは、まるで別のことです。

前者は人間に本来そなわっている、動きのシステムにまかせることです。システムが十全に働くことを妨げる自分のやり方(#習慣)に「気づいて」それを「止める」ことで、動きは自然と起こりはじめます。

#習慣についてはこちらの記事をご覧ください(http://alexander-ken.hatenadiary.jp/entry/2017/03/07/211659)

後者について。えっ!?って思われることを書くことになるけれど、私たちが「良さそう」「悪そう」「いい感じ」「ヤベエ」と感じていることは、ひょっとしたら、外部から(誰かから)来た刺激にほとんど自動的(無自覚)に反応しているだけかもしれません。「嬉しい」「悲しい」「腹がたつ」など「感情」と呼ばれているものすらも・・・。本当にやりたいことと感じていることも、ただの反応かもしれない、とも言えます。感じることが大切に扱われることがあるけれど、私たちが何を感じているのかは、刺激に対してすぐ反応することを、みずから止めることができなければ、ほんとうに感じていることが何かは分かりません。ただ反応を楽しんで(苦しんで)いるだけに過ぎないかもしれないです。音楽を聴いて踊り出すのは、たやすいのです。だから「感じ」や「感情」をあまりにも大切にしないほうがよいです。それはほとんどにおいて、ただの反応だから。

かといって反応を止めようとするがあまり、何もかもしなくなったり、止めることを「正しく」やろうとやっきになったり、やりたいと「感じた」ことさえ満たさなかったり、「感情」をないがしろにしていると、ストレスがたまってきます。「感じ」や「感情」がただの反応だとしても、大切な宝ものなのは変わりないです。

さてそれではストレスをためずに、自分に備わっている、動きのシステムをどうやって使えるようにしたらいいのでしょう。どうやって本当に感じている事へたどり着けるのでしょう。

アレクサンダーテクニークのレッスンで、教師がアレクサンダーテクニークの原理と手を使って、生徒が気づいていない反応を、生徒自身がストップする実験と探求を、生徒と共にするのは役に立ちます。一人で「気づく」ことは途方もなく難しいけれど、レッスンをすすめていくと「気づく」ことが増えていきます。気づきの速度も増していきます。教師が、自らの反応をストップさせながら生徒に触る手は、生徒が反応をストップするために必要な気づきを促すでしょう。ストップする事が多くできるようになった時には、自然と起こる動きや、自然と滲み出てくる感情に出会うかもしれません。この取り組みはある時はワクワクし、またある時はうんざりし、大笑いし、分かったと思ったら分からなくなったり、でも総じてとってもエキサイティングです(本当に!)。

こういう疑問を抱く人がいるかもしれません。心身は分け隔てられないのだから、言葉によって指示を出したり、言葉によって心にアプローチする事だけでも、身体も変化するのではないかと。多分それは起こりえない、かもしれません。F.M. アレクサンダー氏自身が三面鏡の前で、反応をストップさせる修行と観察に、7年もの時間を費やさなくてはならなかった事が証明しています。私たちの言葉の解釈が、ほぼ全員違うのも、字義通りのことをただ実行することにさえ影響しています。だから教師は、言葉ではない教師の手を使って伝えることもやります。

物事はシンプルです。真実もシンプルです。難しくしているのは大体は人間、です!

さて今日はどんな反応が自分に起こるのかしらん。


本文とは関係ないけれど、さいきん庭に咲いているお花。