アレクサンダーテクニーク / 海津賢 (かいづけん / Ken Kaizu)

アレクサンダーテクニークや音楽や、いろいろなことを書いていきます。

「わたし」の使いかた

フランスの真ん中あたりにある、ベジエ村に逗留している。暑いから教会まで散歩した。建物の中は冷んやりとして気持ちいい。


クロアチアの公演について「ダンサーがトランスしていると気持ちよく見える」とか、「音楽がとてもよく感情を表現できていて、聴いているとトランス状態になる」と、よく感想をいただく。

トランスとは恍惚の事であり、我を忘れることである。我を忘れる状態には、ふた通りあるかもしれない。

①瞬間瞬間に必要なことを淡々とこなし、今している事が正しいかとか、どう感じているかがどうでもいい状態と、

感じに取り込まれて恍惚として、自分も周りも見えなくなっている状態、だ。


①を目指しているのだが、なかなかに難しい。

例えばダンスの話。身体がうまく使えている人は、感じに取り込まれて恍惚としても、身体は自動的にうまいこと動き続けているから、あんまり困った事にならないかもしれない。そういう人が指導者になったとき、悲劇が起こる。身体をどう使っているかは客観的に分かっていないのに言語化するもんだから、見当違いな指示(例えば口角を上げるとか、お腹を膨らますだとか、胸を上げるだとか)を生徒に出しやすい。ここで身体の使い方の間違いが生まれる。もともと身体がわりと使えている生徒は稀にできて、体力の有り余る生徒は力ずくでやれて、他の多くの身体がうまく使えていない生徒は迷走する。
その上、感情を表現したりトランスする事を求められ、指導者と弟子たちは、まるで宗教のような恍惚の集団を作るのだった。


50年以上、手でものづくりをしている人が言った。

「作っている時は淡々としていて、トランス状態にはならない。終わった時もやった!という達成感がない。ただ、おわった、だ。トランス状態になって気持ちよくなっているダンサーや音楽家が羨ましい」

私はその方の物作りに向かわれている状態を羨ましく、かっこいいなと思った。