アレクサンダーテクニーク / 海津賢 (かいづけん / Ken Kaizu)

アレクサンダーテクニークや音楽や、いろいろなことを書いていきます。

アレクサンダーテクニークのシェアをしていて、そして自分自身でも探究していて個人的に思うことを書いてみます。

「自分」が自分を大変にさせたり苦しめたりします。自分の好み、自分の考え、自分の充足感、自分のやり方、自分の正しさ、自分の信念、自分の理性、じぶん、じぶん、じぶん、、。とめどなく際限なくやってくる自分と自分の欲求。自分病ともいえる状態。知り合いは人間中毒と呼んでいました。自分とは、相手や自然環境と触れ合ったとき、外からやってくるように思います。外からやってくる「それ(自分)」は掴めないものです。とどめられないものです。まるであぶくのようなものです。自分とは、決して自分の中にはありません。そのことを言葉ではなく、シェアで実際に体験する生徒さんの多くが、ただ立ったり座ったりするだけで驚き、戸惑います。
「じゃあ自分はなんなんだ!😂」「今のは私がやったんじゃないのにできた!😲」

フレデリック・マサイアス・アレクサンダーの著書「The use of the self」は日本語訳だと「自己の使い方」などと訳されることが多いですが、この"self"は、一人だけで閉じている"l(わたし)"のことを指して無いのではないでしょうか?



以下、養老孟司さんの記事より引用

「それを妨害するのが、「個性」とか「自己」を重視する今の風潮です。その人らしさとかね。いくらその人らしくしてみたところで、いずれ変わっちゃうんだから。らしくなくなっちゃっても、別にいいんですよ。」

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00426/042800008/?n_cid=nbponb_fbbn&fbclid=IwAR3rR_FANdNXHBkEo_nmwPCIzi1tfESkb02SOI6meoWxtzFA6qZr0HJn6qw&fs=e&s=cl養老孟司氏、「どうせ自分は変わる」が心をラクにする:日経ビジネス電子版